オンラインで「やってる感」を出すのをやめてほしい話

こんばんは。エントリーしたランニング大会が悉く政治判断に潰されているので次走(5/29 5000m)ももれなく中止にされる気がしてきた小林です。

 

いきなり何を言っているんだこいつはという話なんですが

 

一体いつまで「オンライン○○」でごまかし続けるんだ?ということを言いたいのです。

 

2020年冬ぐらい(だったはず)から口を開けばコロナコロナとなんとも生きづらい世の中になってしまいましたが、割とどうしようもないことに人々が気づき始めてから「オンライン○○」が増えてきました。

代表的な例を挙げると「オンライン京都マラソン」「オンラインさっぽろ雪まつり」など。

各地で開催(もはや運営が何もしていないので開催と言っていいか不明)されているオンラインマラソンなんかは本当に酷いもので、安くない参加費を払うにも関わらず、任意のコースで所定の期間内にスマホで時間と距離を計測しながら42.195kmを走った記録を登録するなどというラソンなどとは口が裂けても言えない全く価値の無い何かになってしまっています。

オンラインさっぽろ雪まつりはよく知りませんが雪像の制作過程の動画が配信されてるらしいです。誰が観るんですかねそれ。

 

確かにオンラインで代替イベントが実施できて参加者がある程度の満足感を得られるなら(ここ重要)それも良いのかとも思いますが、かれこれ2年以上経っているにも関わらず状況がちっとも良くならない以上ある程度の割り切りは必要なんじゃないかなぁと思っています。

ただ日本人の国民性的に何かしらの催しの参加者や店舗の利用者から陽性者出ただけで袋叩き始めるからそこが一番の壁という...

日本人、もっと他人に寛容になりませんか?

 

ちょっと話が逸れつつありますが、結局何が言いたいのかというと

「オンラインという手段に甘えずに、以前の形に戻せない理由探しじゃなくて以前の形に少しでも戻す方法探しをしてほしい」

ということです。

ただ勘違いしないでほしいのですが俺はオンラインという手段そのものを否定しているわけでは決してなくて、個人間で感染対策のために居酒屋などではなく通話ツールやWebカメラを用いたオンライン飲み会をしているとか、本来対面でしていた遊びをオンラインでできないかと試行錯誤しているのはとても良いことだと思っています。

俺が物申したいのはある程度の開催主体が存在するものでオンラインで「やってる感」を出しているあれこれについてなのです。

 

 

なんでこんな記事を書き始めたのかというと会社のZoom懇親会に参加しないと言ったら上司からネチネチ言われたからです。(これも一つのパワハラですね)

俺Zoomガチアンチなんですよね。普通に通話品質が悪いくせにライセンス必要だったりするので、Discordの完全下位互換だと思ってます。

Zoomって使ったことある人は分かると思うんですけど通話品質が悪すぎて2名以上が同時に発言すると何言ってるか一切分からなくなるんですよね。

で、ノイズのような何かだけが耳に入ってしーんとした空気になることが多発という。

つまり何人で参加していようと発言できるのは常に一人、大半の参加者は聞き専という感じ。

普通の店舗で実施する懇親会なら参加者が多くても小さい単位で会話すればいいんですが、それができないのはあまりにもきつすぎますね。

 

会社で大規模な会食はさすがにOK出せないっていうのはもっともなので分かるんですが、かといって大半の参加者が退屈する会に参加しないと難色を示されるのはどうなのっていう感じがしたので1500文字ぐらい書きました。本当に内容の無い記事。

 

 

今回は以上です。